私が大嫌いな人間。

 あまり書きたくない。言語化は全然万能じゃない。思っていること、心のモヤモヤを表現するには言葉が足りなさすぎる。

嫌いなもの

 人間が嫌いだ。人は人と必ずかかわっていかなければならないがそんな人間が大嫌いなんだ。自分も含めて。

 ワールドカップで日本がクロアチアに敗れたときTwitterのトレンドに上がったのは「PK下手」というものだった。なんだよこれ。これが「日本お疲れ様でした」とかになる社会だったら、私は死にたくならずに済んだのだろうか。日本代表選手は昔から長い時間をサッカーに捧げて努力してきた人たちだろう。そして対戦相手である選手も同じようにサッカーにいろいろなものをささげてきた人に違いない。そんな彼らがぶつかり合った結果日本が負けただけなのだ。なのになぜそこら辺のモブに下手呼ばわりされなければならないのだろう。そいつらは人なのだろうか。豚か。いや、豚に失礼だ。同じ生物として扱う価値はないのかもしれない。でもそんな人たちが実際にいるんだ、しかもわりとたくさん。社会に出てこんな人たちに会ってしまったら私はどうすればいいのだろうか。まず大嫌いな人種一つ目は上記のような人の気持ちを考えられない奴らだ。

 私のクラスにはとても仲の悪い二人がいる。ある授業でたまたま私とその二人の計三人グループがくじで決まった。片方は「今日話さないわ、好きにやって」と匙を投げた。大嫌いな人種二つ目はこういうやつだ。公の場で自分の感情をむき出しにして第三者への迷惑など微塵も考えていないクソガキだ。二十歳超えてこれだ。どうせ来年クラス変わったら二度と話さないのだから嫌いでも表面上だけ取り繕ってコミュニケーション取ればよかっただけではないのか?と思うがそんな少しの思考と我慢すらできないバカだ。

ほんとにうんざりするんだ。じゃあ例えば前者の人間が大きな失敗したらざまあみろって直接いってやっていいのか?私だって腹立ったらその場で暴れればいいのか?もう少し自分がしようと思う言動行動を見直してくれよ。頼むから。

正当性、誠実さは無意味

 そんな人間たちの台頭は昔から徐々に進行してきたはずだが最近はそれを強烈に実感する。ガー〇ーとかいう国会議員にもなって海外に籠ってしょうもなくてどうでもいい暴露を重ねるやつ、待ちゆく人に学歴を聞いてバカにしていくやつら、ブレイ〇ングダウンとかいうチンピラが台本に沿って煽り合う茶番番組、コレ〇レとかいう司法という手段を使わず私情混じりの曖昧な情報で他人の人生をぶっ壊すような自称被害者さんの溜まり場、そしてそれらを面白い面白い言って妄信する人々。もうおしまいだ。情報の正当性や人間の誠実さ、倫理観なんてクソくらえだ。もう、騒いだもん勝ちで傷つけたもん勝ちなんだ。

自分が最も嫌い

もちろん上述した人間どもは大嫌いだ。でも一番嫌いなのは自分自身だ。なぜならわかっているのに行動していないからだ。うつ病になって5年を超えていろいろなことを考えて悟ったつもりだ。私はどれだけ自暴自棄になろうと不誠実にも他人に刃を向けることもできない。そしてただ結果が欲しいだけの人間なのだと。例えば難しい資格試験を取れたとしてそれが実力でなく運だったとしても喜んでしまうし、今後どこかに就職した場合それが大したところでなくとも満足してしまう。そして追いつめられると、この記事のように仏陀を気取ってべらべらと穴だらけの理論で埋め尽くす。そしてなんの努力もしない。その程度の人間なんだ、自分なんて。

 

 今回は私が嫌いな人間について書いた。でもこんな人たちが減ってほしいとは思わない。むしろ増えてもいいぐらいだ。俺がもう一度首に縄をかけたとき、この世界に微かな希望も一刻の猶予も感じないくらい、そんな人たちで埋め尽くされればいい。