ブログ始めます

 ブログを書くのが怖い

 今日からブログを書こうと思う。これは自分の考えを整理するためであり、また、誰かに自分の記事を読んでもらうだけでなぜか自分が認められたような気がして嬉しいから。

どこまでが自分の考えかわからない

 では早速本題に入ろうと思う。今日、唐突にブログを書こうと思い立って、最初の記事の内容は昨日友達に語った運命論についてにしようと考えた。しかしふと思った。「昨日語った自分の考えは本当に自分の考えなのだろうか」と。誰しもが小学生時代から”自分の考えを書きなさい”や”今日の○○の感想を書きなさい”という宿題を数多くこなしてきた。しかし、そこで本当に自分の考えを書いていたかといわれると私は自信をもってはい!とは言えない。

 例えば、学校の課題として”未だ日本で残っていると感じる男女差別について例を挙げてあなたの考えを述べなさい”という課題が出たとする。その答えとして「今の日本では、女性の管理職登用の少なさや広告、CMによる性的搾取、また、男性の育休取得の制限などがあると思います。これらの問題を解決するために会社ではその社内で男女の権利が平等かどうかを可視化するデジタルツールを用いたり、性を連想させる広告宣伝に関する規制を厳しくするなどの対策が必要だと思います。」と答えたとする。さて、これは自分の考えといえるだろうか。上記の男女同権のデジタルツールも昔ネット記事で見つけて「これいいかもな」と思って用いたものだしなんなら性を連想させる広告なんて想像しても全く出てこない。

 このように「共感」と「意見」という二つの境界線はあまりに曖昧過ぎる。どこまでが「共感」になってどこからが「意見」として見てもらえるのか私にはわからない。著作権などが厳しく、あらゆる作品がパクリだと激しく騒がれる世の中で「この記事では自分の思っていることを述べているだけ」なんて私は口が裂けても言えないのである。

 不安な気持ち

 今後たくさん自分の考え(ここではあえて使います)について語ったとして例えばコメントで「これってこの記事のパクリですよね(^^)」とか「この書籍と言ってること一緒ですよ」なんて言われたら泣きながら黙って記事を削除してしまいそうだ。

 自分って何ですか?

 そんなことを考えていると思うのだ。「自分って何だろう」って。みんな言う。自分自分自分自分。みんなこの言葉が大好きだ。自己紹介を振られて「○○○○(名前)、会社員、趣味は映画鑑賞です」と言った。じゃあ、会社員って自分ですか?小さい頃からサラリーマンの父の下で育ち「安定の必要性」や「将来の選択肢を広げること(習い事や大学進学等)」に重きを置いた教育や投資をしてもらった。それで実際に会社員になったとしてそれは自分なのだろうか?映画鑑賞が趣味ですってそれは自分ですか?

 みんな何かしらに属している。属していたら個人は存在しないなんてことを言うつもりはないが、今自分を構成しているアイデンティティは全て何かしらのone of themでしかないと思ってしまって自分を見失ってしまう。

 ここまで回りくどく書いたが私はずっと自分の意見というのが自分の意見かどうかわからない、そんな不安を抱えながら不特定多数に見られる可能性のあるブログを書くのが怖い。